参拝案内
  光善寺参詣案内  
境内の参詣はいつでも大丈夫です。但し防犯上本堂等へは入れません。

団体参参拝も受け付けておりますが、お受け出来ない場合もございます。
本堂、書院にて説明と宝物展示を致します。   所要時間30分

法事、祥月、月参り等の法要につきましては相談に応じます
永代経 4月25日、10月25日に行っております。
収骨、墓地、納骨堂については、光善寺門徒に限らせていただいております
 

 光善寺(出口御坊跡)
 出口は、文明七年(1475)本願寺第八世蓮如上人が建立した御坊を中心に発達した寺内町である。寺内町は、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集落をのことをいう。蓮如上人は御坊(のちに光善寺)を拠点に摂津・河内・和泉で布教活動を行い、三年後、山城に創建した山科本願寺に移った。
 蓮如上人の死後、光善寺は戦国乱世の中で退転を余儀なくされ、旧地に復したのは慶長年間(1596-1615)であった。広大な寺域と御堂・山門・通用門・鐘楼・太鼓楼・書院・庭園などの江戸時代の伽藍を残し、寺内町の核としての風格を今に伝えている。その景観は、「河内名所図会」(享和元年刊)にみえるものとよく一致し、江戸後期にさかのぼるものである。伽藍の近世建築には、17世紀の山門および脇門、江戸中期の数寄屋風書院があり、天明二年(1782)の御堂、同七年の太鼓楼等がある。・・・2010年4月 枚方市教育委員会「境内説明板表示」

 
 

 光善寺本堂
・天明2年(1782)8月、再建上棟
・21.5m四方、桁行9間(実長11間)、梁間7間半(実長11間)
・入母屋造、本瓦葺、正面向拝3間
・平面型式、間口7間(実長8間半)奥行3間(実長4間半)の外陣、
 奥行2間(実長3間)の内陣・両余間を(12畳)・飛檐の間(落間)をとる。
 内外陣境から前へ1間(実長1間半)に無目を入れて矢来内とし、寺格の高いことを示している。
・御堂は江戸時代後期大型真宗本堂の特徴をよく示すもので、向拝・縁柱・外陣側柱を除き円柱  を用い、外陣の側柱間では頭貫を通し、台輪を据え、(挿肘木による)出組をのせる。
 また、外陣正側面三方の広縁に立つ庇柱を几帳面取角柱とし、柱間に虹梁型頭貫を通し、出三 斗を置く。落縁には組高欄を廻らし、持送りのついた縁束で支えている。
   ・・・枚方市建造物報告書Ⅲ「枚方市の社寺建築」枚方市教育委員会から抜粋

 
 

 山門
 棟通の親柱の前後2本ずつ計4本の柱が立つ四脚門の形式で、切妻造・本瓦葺である。
 親柱間に冠木をのせ、これを挟んで女梁・男梁(腕木)を梁間に架け、男梁は前後に延びて控柱と緊結し木鼻を突き出す。控柱間は虹梁型頭貫を通し、柱上に大斗絵様肘木をおく。親柱と控柱間は腰長押を入れて繋ぐが、控柱に枕捌きとする古制をもっている。
 虹梁・木鼻・肘木等の様式や蟇股・蓑束は寛永14年再建御堂の細部より様式的年代が下がり、17世紀中ごろ(慶安~寛文頃)の遺構とみられる。御堂を寛永14年に再建した後に建てられたものであろう。
   ・・・枚方市建造物報告書Ⅲ「枚方市の社寺建築」枚方市教育委員会から抜粋

 
 

 脇門
 この門は山門と異なり薬医門の形式で、山門と共通する構造形式をもっているが、妻飾りや屋根の架構に特色をもっている。
 ごひら角柱の親柱間に冠木をのせ、これを挟んで女梁・男梁を梁間に入れる。男梁(腕木)は前後に延び、背面では控柱と繋ぐ。正面側では男梁先端に大斗絵様肘木を組んで出桁を受ける。控柱間は虹梁型頭貫を通して頭貫端を象鼻とし、柱上に大斗絵様肘木を置く。妻側の組物間中備に蟇股を入れるのは山門の場合に等しい。妻飾りは虹梁大瓶束で、大瓶束上に拳鼻付三斗を組んで棟木を巧みに支えている。
   ・・・枚方市建造物報告書Ⅲ「枚方市の社寺建築」枚方市教育委員会から抜粋

 
 

  太鼓楼
 脇門の東側にたつ二階建ての太鼓楼は御坊格寺院としての格式の高さを示すもので、一般末寺では重層の建物は原則として建てられなかった。下層実長方二間半、上層方一間、入母屋造、本瓦葺。柱間は下層板張り、上層は塗込めで東西のみ花頭窓を明ける。軒は一軒半繁垂木で、妻飾りを木連格子とする。花頭窓や木連格子は寛政頃の様式を伝えている。
   ・・・枚方市建造物報告書Ⅲ「枚方市の社寺建築」枚方市教育委員会から抜粋

 
 

 鐘楼
 鐘楼は方一間吹放し、入母屋造、本瓦葺の形式で、近世における鐘楼の一般的形式である。
礎盤上に円柱を内転びに立て、柱間に腰貫・飛貫・頭貫木鼻・台輪を廻らし、出三斗をのせ中備蟇股を置く。妻飾りは虹梁板蟇股で破風の拝みに懸魚を吊るす。軒は二軒繁垂木である。
 しかし、頭貫上に台輪を回し中備蟇股を入れるだけでなく、飛貫上にも蟇股を2個置く特色をもっている。一般に、鐘楼の柱では内転びを大きくして安定感を得るが、当鐘楼は比較的柱の内転びが小さく、柱高が高く、屋根勾配が強いため、縦長のプロポーションをもっている。このため飛貫上にも蟇股を2個並べて視覚上の安定感を意図したものとみられる。
   ・・・枚方市建造物報告書Ⅲ「枚方市の社寺建築」枚方市教育委員会から抜粋

 
   
  走谷堂山古墳出土石棺 蓮如上人御落歯の懐紙碑 正慶殿 納骨堂  
 

 光善寺のサイカチ
 サイカチは、マメ科の落葉高木で、幹・枝に多数の棘があり、葉は複葉、淡い黄色の小さな花が咲きます。長さ30cm余りの豆果は、サポニンを含むため洗濯用の洗剤として用いたり、生薬として去痰や利尿剤にも利用されました。
 境内北端にあるサイカチは樹齢200~250年、幹回り2.5m、樹高12mで、府内では幹回り2mを超えるものはほとんど見られません。昭和50年(1975)に、大阪府指定文化財(天然記念物)になりました。また、平成25~27年(2013~15)には樹勢回復のための治療が行われました。
 光善寺のサイカチには龍女伝説があります。室町時代、浄土真宗中興の祖である蓮如上人が、出口で説法をしていた時、毎晩熱心に聴聞する美女がいました。ある夜、「私はこのあたりの大池に住む大蛇です。上人の説法により功徳を得て昇天できることになりました。 この池を上人に献上しますので、埋めたてて御堂を建立して下さい。」と言って姿を消し、大池のそばのサイカチから昇天したといいます。・・・平成28年(2016)3月 枚方市教育委員会「境内説明板表示」

 
 

 書院
池に面した書院は五百二十数年前の蓮如上人ご在住当時の姿で残されています。
石川丈山は、この書院を萬象亭と名づけました。当時は池のすぐそばを淀川が流れていて、三十石船の上り下りする情景や彼方に見える天王山の風景を借景に取り入れた風流な眺めでした。

 
 

 庭園
 出口は京都と大阪の中間地点で淀川の南岸に接し、水陸交通の便利な土地柄でした。 当時この地には二丁四方(一万四千四百坪)の大きな池があり、それを埋め立てて諸堂を建設されましたので、山号を淵埋山(えんまいざん)と名づけられました。
 その池は今も小さく残され、石川丈山作という光善寺庭園の一部となっています。

 
 
 
しんしゅうおおたには えんまいざん でぐちごぼう こうぜんじ
京阪電車「光善寺駅」から徒歩10分
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